日常生活のなかにある防災を研究する

落合知帆 助教

地球環境学堂 人間環境設計論分野
(コミュニティ防災)

途上国での防災プロジェクト

私は地域防災の研究をしています。テーマは、日本の消防団などの地域住民が主体となっている組織や活動です。母の影響もあって途上国の支援に関心を持ち、大学では社会学科で開発学を専攻しました。卒業後は、コンサルタント会社に就職して、途上国支援の仕事をするなかで防災プロジェクトに関わり、社会配慮がどのように行われているかの調査や現地でワークショップを通じた防災意識の啓発を担当しました。仕事をするなかで気づいたのは、途上国では防災の手法が実は確立されていないということでした。多くの場合、地域住民を集めてワークショップを開き、ファーストエイドや避難誘導などの役割を決めて避難訓練を行う事が多かったのです。しかし、日本ではこのようなやり方で防災を広げているのだろうか、という疑問がありました。そこで、地球環境学堂で研究する機会を得た時、日本の事例を研究しようと思いました。

消防団の研究をはじめたきっかけ

博士課程では、岐阜県白川村で調査を行いました。そこで、「防災、どんなことされていますか?」と聞いても、防災については特に何もやっていないと言われました。ある時、ここには消防団があって、ほとんどの男性は入らないといけない、という事を知り、日本の地域社会には昔から消防団があることにあらためて気づきました。研究者が使う「防災」という言葉と、地元の人が使う言葉は違います。彼らが直面する災害の種類によってもその認識は異なります。白川村の人々にとっては、「防火」や「消防」が、「防災」に当たる言葉だったのです。

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消防団は、村の若者組や青年団が防衛と火事に対処して活動していたものが組織化されたものです。一方、自主防災組織は、行政からの指導で学校区や自治会をベースにして作られたもので、阪神淡路大震災後、とくにその重要性が指摘されるようになりました。

消防団の話を聞いているうちに、消防団について知りたかったら、操法大会の時に来るべきだと言われました。操法大会とは、消防ホースの操作の速さ、正確さ、美しさを競う大会で、全国大会のレベルまで開催されます。6月から7月にかけて消防団所属の男性たちは全員参加で、毎晩のように訓練が行われます。家になかなか帰ってこないので、「消防未亡人」という言葉があるくらいです。

白川村の消防団は、若い男性が学業を終えて村に帰ってきたときの、社会的な入口にもなっています。初めは消防団が嫌だったという人でも、先輩後輩の関係ができたり、災害現場を経験することで、自分が担っている役割の重要性を認識していきます。そして地域住民からも個人が認識されます。消防団は防災のためだけではなく、村の運営を担う大人になるための人間形成の場であり、人間関係を構築する役割もあるのです。社会そのものは複雑で全体を理解するのは難しいですが、防災組織を通してその社会をみることで、地域を理解することができるのではないかと思います。

防災は、地域によって多様です。地域の自然環境、過去の災害経験、産業構造や社会構造によって、防災の形態はいろいろあってもいいのではないかと思います。様々な事例研究を集めるしかないのではないかと思います。

日常と災害時をつなげる研究をめざす

東日本大震災以降、地震と津波が注目されていますが、東南海・南海地震・津波も発生する確率が高いと言われています。そこで、2008年から和歌山県田辺市の江川町という漁師町で研究を始めました。ここでは、自主防災組織を結成したものの、互いが助けあう取り決めを行わないと町内会で決めたそうです。その理由としては、高齢化が進む現状において、高齢者が高齢者を助けるという状況にあること、そして「助け合う」と言うことが、「助けられるまで待つ」高齢者を出す可能性があり、津波避難では最も避けなければならないという事でした。当地区は昭和21に年に発生した昭和の津波を経験していますが、その経験がはっきりした形ではありませんが、地域の決定に影響を与えていたことが分かります。東日本大震災で「逃げる」という事が一番大切なことだという認識が高まりましたが、それまでは特に活動が無い地区だという認識に止まっていました。

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木造住宅が密集し、近所の人たちが一緒に夕涼みをする姿を見ていると、ここには何かある、しかし、この社会を理解するのには時間がかかりそうだと思いました。そんな中、住民の方からこの町はお祭を中心に回っていると聞きました。祭りでは、笠鉾を町中引き回します。その様子を見ていて、これは防災と関わりがないわけはないと思いました。祭りでは、年長者が笠鉾を先導して、謡を謡います。若手は年長者の指示に従って笠鉾を引っ張ります。若い人は力任せに引っ張りますが、それを年長者は抑えたり、調整したりします。祭りで行われていることに防災の要素があり、また日常的に行っていることが、災害が起きた時に役に立つのではないかと思いました。災害研究ではこれまで、災害時、あるいは災害後の研究が主になされていて、災害前の社会とリンクさせる研究はほとんどありません。それをするべきだと気づきました。

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漁師は危険な生業に身を置いているという意識があるので、互いの安全を確保するために暗黙のルールや信仰があって、それを守っています。たとえば出漁中には無線をつけっぱなしにしておいて、船同士が30分ごとにおしゃべりをします。それが途絶えると何があったのではないかと、互いに探しに行くのです。規則としてあるのではありませんが、互いに知っていて従っているようなルールです。漁師たちの生活の中には何かの時に助けになったり、役立つルールや行為が沢山あり、それが漁師たちの防災、リスクマネージメントなんだ、と3年くらい経ってようやく分かったのです。

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災害研究の難しさは、災害が起きて初めて分かるということです。日常生活のなかで実践されている防災が、災害の被害を軽減したと証明するのは困難です。災害が起きないと分かりませんし、災害が起きたとしても、被害が小さかったのは単に災害の規模が大きくなかっただけなのかもしれないからです。そのような難しさはあるものの、災害が起きる前の社会と災害後をつなげて、地域で行われている防災について理解し、よりよい防災のやり方が提示できればと考えています。

(2012年10月 インタビュー 金谷美和)