日本の農業から環境マーケティング

吉野 章 准教授

地球環境学堂 環境マーケティング論分野
(環境マーケティング論)

環境学にはマーケティングが必要

私の専門は、環境マーケティング論です。マーケティングというのは、企業が利益をあげるための学問という印象が強いですが、それだけではありません。環境に対する取り組みを行う企業が増えていますが、それが市場で評価されて、そのための費用が回収されないようでは、企業の環境への取り組みは持続しません。政策についても同様で、国の環境政策が持続的なものになるためには、社会でどのように受容されているのかを知り、同時に国民に政策を理解してもらう必要があります。そのためにマーケティングが必要なのです。

マーケティングの対象は幅広いですが、私は、市場分析と、消費者行動の分析を主としています。特に、農業分野における環境配慮活動を分析の中心としています。農業・農村が維持されることで社会的に提供されていく機能は、農業の多面的機能と呼ばれます。農業は、食糧供給機能だけでなく、村や文化の維持、国土保全、生物多様性の保持に役立っています。こうした農業の果たす役割を社会はどの程度理解し支持していけるのでしょうか。現代の消費者は、環境に配慮して生産された農産物をどのように理解しているのでしょうか、どのくらいの人が購入しているのでしょうか、そして購入している消費者はどういう人たちなのでしょうか。そうした分析を行うと、「環境」からみた現代日本の消費者像も見えてきます。

こうしたことを知るためのコミュニケーション手段として、私は主にアンケート調査を利用しています。ここ数年力を入れているのが、消費者意識や行動に関するアンケートの回答から、消費者をどうパターン分けすることです。たとえば、性別や年齢などによる傾向を見るだけなら簡単なのですが、それだけで説明できることには限界があります。もっと消費者の意識や行動に踏み込んだ消費者像の分類が必要です。分析者の思い込みや先見的な情報に惑わされずに、回答パターンだけで消費者をうまく分類できる分析手法を開発できれば、「○歳代の人には、環境意識の高い人がちょっとだけ高い」みたいな分析よりも、もっと現実の消費者像に迫る豊かな分析ができると考えています。

リスクコミュニケーション

環境マーケティングと関連する社会的ニーズの高い研究テーマとして、現在、リスクコミュニケーションの研究にも取り組んでいます。BSE(いわゆる狂牛病)や遺伝子組み換え食品のような食品の安全性についてのリスクと、ごみ焼却所などのいわゆる迷惑施設の立地で生じる、施設と住民の対立などのような環境リスクについての、一般市民を巻き込んだリスクコミュニケーション問題が対象です。昨年からは、福島第一原発事故の後、放射性物質で汚染されたと思われている野菜の“風評”被害を研究しています。リスクコミュニケーションの分類でいうと、「安全だと言っているけど安心できない」といった社会的な問題がテーマです。

現時点でのリスクコミュニケーション研究では、どうして消費者はリスクを科学的に理解しようとしないのか、ゼロリスクに固執する費用と便益を考えるべきだ、もっと科学的な説明を理解できるリテラシーを養い、冷静な判断をすべきだ、そのために、もっと科学的で客観的なリスク情報を提供しましょう、という主張が多いようです。しかし、科学的な説明をいくら繰り返しても、分からないものは分からないだろう、と私は考えています。市民や消費者は、科学的な判断に誤りはないのか、実験室で安全であったものが実際に運用されていく中で、安全性がひっくりかえることはないのかという懸念を持っています。市民や消費者はリスクをどう理解しているのか、消費者が感じている不安が何なのかをしっかりと聞いて、理解を深めることが大事だと考えています。

リスクコミュニケーションには三段階あります。一つめは、安全なものを安全だと伝え、互いに理解して合意するということです。これは難しいです。二つめは、安全だと言われている内容は理解できないけれど、あの人が安全だというから安全なのではないかという、能力とモラルに対する信頼を勝ち取ることです。これはもっと難しいです。三つめは、合意を求めるのではなく、理解することです。なぜ相手が安全だと主張するのか、なぜ政府や企業は安全だというのか、なぜ消費者は不安に思うのかを互いに理解することです。これならできるかもしれません。そうすることで、たとえ合意できなくても、少なくともお互いの価値観や利害を調整するための社会的な交渉が冷静にできるようになります。無用な不信を解消し、話し合いや議論の機会をつくって、交渉をする土台を整備するのがリスクコミュニケーションだろうと私は考えています。

日本の農業の活路を見出す

私の研究テーマは、私が百姓出身だということと切り離せません。日本の農業が疲弊していく中で、それを維持、活性化する方法を考えたいと思って、大学では農業経済学を専攻しました。農業経済学のなかでも、農業者の立場から活路を見いだしていくことができるようにと農業経営を勉強しました。

以前は、農業の現場の調査によく行きました。専門的にはやや離れてしまいましたが、今でも、農家や関係組織の人の話を聞き、農業の現場で何が起こっているのかを調べるのが、実は一番楽しいです。農業の機械化は必ずしも大手メーカーだけが行っているものではありません。農家の人たちは農業機械の既製品を使うだけでなく、自分たちで機械を改良したり、発明したりしています。たとえば、こんにゃくの産地に行ったら、こんにゃくの定植機を考案している人がいるわけです。みかんの品種改良は、農業試験場の人だけで行われているというわけではありません。名もない農家の人たちが、さまざまな知恵や工夫をこらしています。それが世の中を動かしていくというのが面白いと思うのです。

日本農業の方向性が、農業政策のあり方に大きく左右されることは間違いない事実です。しかし、閉塞する日本農業の中で、希望となるおもしろい取り組みや試みの大半が、現場から起こってきた創意工夫や努力によって生み出されています。農業の現場でリーダー的な役割を担っている若手、といっても今の農村では50代、60歳代も若手ですが、こうした方々は本当によく勉強しておられます。私は教えてもらうことのほうが多いです。昔は、農業は基幹産業だったので、農業経済学を学ぶ人も多かったのですが、今では少なくなりました。農業経済学を専攻する学生でも、農業生産や農業経営の現場に関心を持つ学生はほとんどいないようです。私は、研究者として、公平で客観的な立場から研究しているつもりですが、それとは別に、現場で活躍さてれる農業者や関係者の方々を敬愛し、私なりに日本の農業を支えていければ、といつも考えています。

(2012年4月 インタビュー 金谷美和)