きれいな大気を次の世代に残すために

梶井克純 教授

地球環境学堂 大気環境化学論分野
(大気化学、物理化学)

先進国都市における新タイプの大気汚染

光化学オキシダントを研究しています。オキシダントの主要な成分はオゾンであり、O3と書きます。対流圏と呼ばれる地表から15キロメートルくらいまでのところでは、オゾンが増えて問題になっています。なぜオゾンが良くないかというと、人体や生命体に対して毒性が高いということがあります。農作物の収穫量が減ると言われていますし、疫学の調査によると、オゾン濃度が上がれば死亡率が上がると言われています。そういうことからも、オゾン濃度は低いほうがよいとされています。

とはいうものの、オゾンはなかなか減りません。オゾンは、人間活動の結果、大気中において光化学反応のなかから発生するのです。自動車の排気ガスから直接出てくるわけではありません。そこがやっかいなところです。原因になる物質は、ある程度わかってきました。それは、物が燃えるときに出るNOX(ノックス)、つまり窒素酸化物です。それと、VOC(Volatile Organic Compound=揮発性有機化合物)です。この二つが大気の中で光反応すると、オゾンが出来ることはだいたいわかっていまして、これらを減らさなければならないというのが大前提です。

1970年ごろ、日本で光化学オキシダントによる大気汚染が社会問題になりました。その10年前にアメリカでロサンゼルス型公害が問題になって、原因についてある程度のことがわかっていたので、日本でも原因物質を減らす努力がなされました。法律が制定され、技術革新が行われ、NOXの削減ができました。しかしある程度減少すると、その後、逆にオゾンが増えてきました。原因物質は減らしたのに、オゾンはなぜ減らないのかということが研究者のあいだで大きな問題になっています。

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これは、日本だけではなく、欧米の都市でも起きていることから、先進国の都市における環境問題だと言えます。新興国の都市においても大気汚染は激しいのですが、日本の1970年ごろの汚染と同じで、原因物質を減らすことでオキシダント削減の大きな効果が得られます。ところが、私たちは先のフェーズに進んでいて、大気汚染といっても、新興国とは本質的に異なる問題に直面しています。私は、この問題の解決に取り組んでいます。どの物質をどのくらい減らしていけば、大気はきれいになるのかを明らかにして、行政と一緒に法律をつくるお手伝いをしています。

レーザー分光学から環境問題にとりくむ

もともとは試験管の中で分子にレーザーをあてて生じる光反応の研究を行っていました。純粋に理学的な研究です。東京工業大学で学位をとりまして、助手をしていました。この分野はかなり完成されていますので、そのうちこのまま続けてもつまらないなと思い始めていた時に、縁があって東京大学の先端科学技術研究センターで助教授として大気化学の研究を始めました。自分にとって新たな研究分野でしたが、得意な研究手法を駆使して、大気の解明に役立つ研究ができるのではないかと思って始めたのが最初のきっかけでした。さらに、オキシダントのことがいまだに明らかになっていないということが分かり、その解決に役立てばと思って、大気中の成分を計測する装置を自作して、研究に取り組み始めました。

分析機器は、お金を出せば買えるものではなく、自分で作らないといけません。自慢話になりますが、こういう装置は当初、世界に一台しかなかったので、世界各地に持参して大気の観測をしました。

この装置は、大気の汚さを測定するためのものです。都市には、約2000種類ものVOCがあると言われています。そのうちの150種類を化学分析するのがやっとで、2000種類すべてを分析するのは困難です。どうすれば、2000種類も含まれた大気の汚さを評価することができるのかをずっと考えていて、思いついたのが、まったく違った発想で評価する方法です。つまり、反応性をみるという方法です。メカニズムは複雑すぎるのでここでは詳しくお話ししませんが、簡単に言うと、レーザーを使ってOHラジカルという物質を人工的に作りまして、それが分析対象の大気のなかで、どのくらいの速さで「死んでいくか」を計測するのです。OHラジカルは、本来は水(H2O)であるものからHが一つはぎ取られたものです。ですから、反応性が高く、他の物質からHをとってきて水になりたがる性質があります。

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もしVOCが少ないなら、反応するものが少ないですから、OHラジカルは、ゆっくりと死んでいくわけです。だいたい1秒くらいかけて、水になってなくなってしまいます。ですが、大気汚染のすすんだ都市では、VOCがたくさんあるので、OHラジカルはすぐに死んでしまいます。その死んでいく速さ、寿命のようなものを評価すれば、その空気がどのくらい汚いかを計測することができるのです。

VOCを減らしながらNOXを減らす方法を探る

将来、化石燃料を使わない時代がきます。ゼロエミッション社会と呼ばれ、NOXが出なくなります。それは良いことなのですが、NOXが減っていく段階において、VOCが存在すると、オゾンは発生します。つまり、このままだとゼロエミッション社会に至る前に、オゾンが大量に発生する時期を迎えることになります。オゾンを削減するためには、VOCについて明らかにして、VOCを削減しなければなりません。しかしいまだ明らかになっていないVOCがあります。人間活動によって発生するVOCの排出をできるだけ下げながら、NOXを下げるという戦略をとれば、オゾンが大量に発生することを回避して、NOXの排出がゼロになる社会を迎えることができるわけです。この方法を、政策に反映して、環境問題のリスクを回避することができます。

実社会においては、このような規制は痛みがともないます。メーカーにとっては、コストをかけて排気ガスの除去装置をつけることになりますので、価格競争上不利になります。ですから、発生源として最も多い物質から規制をかけて、効果的に削減できる方法を明らかにしなければなりません。研究成果を政策決定をする人々に伝えて、規制をかけるべき物質やその量について、選択のオプションを提示するというのが、僕の最終的な目標です。

(2012年10月 インタビュー 金谷美和 写真 山本賢治)