おなかの中の環境を知る

谷 史人 教授

農学研究科食品生物科学専攻 食品生命科学講座
(食品化学)

消化管と免疫

私は、消化管のなかの環境の変化が、人間や動物の生体防御にどのような影響を及ぼすかについて研究しています。

多細胞生物にはいろいろな生物がいますが、共通しているのは消化管があるということです。人間は、食べ物を加工したり、加熱したりして食べますが、動物は生で食べます。食べるものは異なっていても、おなかの仕組みは、実はあまり変わりません。消化管は、悠久の進化の中で出来上がってきたのですが、それほど変化していないのです。消化管の中の環境という研究テーマは、人間の消化管を生物の進化に位置付けてとらえてはどうだろうか、という視点の転換からうまれました。

人間や動物が摂取する食物によって、おなかの中の環境が作られます。食物によって、おなかのなかにある腸内細菌が変わり、それが体を変えていきます。なかでも、腸内細菌の状態が免疫系に及ぼす影響に関心を持っています。高脂肪食を取ると腸内細菌が変わると言われていますので、それによって免疫系がどのように変わるかを調べました。

消化管のしくみは、普通の免疫系と異なっています。一般に体の免疫系は、外部から取り込まれた成分を認識して対処しようと働きます。ミルク、卵、大豆、米など食品は、生体にとっては異物ですから、免疫系が働くと、人間は何も食べることができなくなります。しかし、消化管には経口免疫寛容というものがあります。ミルクや卵を食している人間に、卵やミルクを注射しますと、免疫応答が働きませんが、食べていない人間に注射すると免疫応答が働くというものです。消化管の免疫系には、寛容というしくみが備わっていて、外から取り込んだ物を識別して、栄養として取り入れたり、排除したりするわけです。これは、多細胞生物が生きていくうえで必須で、かつ発生学的に古い器官の生体防御系なのです。そこで、消化管が外から入ってきたものに対して、安全であると認識したら免疫系を抑えるしくみについての基礎的な研究をしています。

先進国では、自己免疫疾患のような病気もあります。生活習慣病と呼ばれている、糖尿病のような病気です。自然な状態で、どのように消化管の環境を制御すれば、このような疾患にかかりにくいかを、生物の進化の視点から考えることに興味をもっています。2型糖尿病という、高脂肪食を摂ることでかかりやすい病気では、おなかの中の細菌が、生体防御系に入ってきやすくなっているのではないかという報告もあります。おなかの中の環境を適切にコントロールすることで、生活習慣病の予防に役立つのではないかと期待しています。

急激に変化したおなかの環境

この1世紀くらいで人間の食の環境が大きく変わりました。数千年という人間の文明史において、この変化は劇的とも言えます。食物が安定して得られるようになって、カロリー摂取が増えました。抗生物質が発明されて、病気に対する抵抗性が高まったこともあり、平均寿命が延びています。一方で、カロリーの摂りすぎで生活習慣病がでてきたり、アレルギーがでてきたりしています。

生物の歴史の中で、生物が恐れていたのは飢餓です。したがって、生体のしくみも飢餓に対しては準備ができていました。しかし、生物はこれまで飽食を経験したことがありませんでした。これまで食物の保存は、塩蔵や発酵といった方法を用いて行われてきましたが、機械化がすすめられ、衛生上の問題なしに食物を保存できるようになりました。このような変化は、第2次世界大戦以降に顕著になり、せいぜいこの60年に生じたことです。消化管は、このような急激な変化に対応できていません。人間の本来持っている仕組みが対処しきれず、アレルギーや生活習慣病がでてきたのではないかと思います。

清潔な食品のみを体内にいれるのは、本来の生理機構に良くないのではないかと思っています。もちろん食中毒が起こるようなことはあってはなりませんので、誤解されないように言葉を選ばなければなりませんが、生体にとってある程度のストレスは必要です。ある程度の負荷をかけることで、生体が本来持っている能力が発揮できますので、生体が死にいたらない程度の刺激は必要なのです。

食品の機能性とは

最近、食品の機能性について関心が高まっており、機能性食品、医食同源、薬食同源などの言葉が使われて、一種のブームのようになっています。ブームの中で、あたかも薬のように、特定の食品が特定の疾患を治してくれるかのように理解している消費者もいます。

特定の食品を食べれば治るとの認識は間違いだとは言えませんが、食品の機能のとらえ方としては一面的です。むしろ、これまで述べてきたような、生理機能を適切に維持するための機能ととらえることが、体によい食を考えるうえで大事だと思います。

食物の生体調節機能についての研究は、ミルクからはじまりました。乳は、哺乳類が最初に口にする食物ですから、栄養学的に満たされているだけでなく、自然な形で体の調子を整える機能が備わっているのではないかと考えられたからです。この研究は、京都大学の食品化学研究室で行われ、私は幸いにも学生として、この新しい分野の研究に当初から関わることができました。この時に持った、自然な状態で身体を維持していくうえで、食物がどのようにいい作用をしているか生理的に知りたいという希望が、現在に至る研究のもとになっています。食に関する関心が高まっているのはよいことです。食は、生命を維持するものですので、きちんと考えなくてはいけません。

(2012年3月 インタビュー 金谷美和)