第35回嶋臺塾を開催しました

第35回 朽ちる美

日  時: 平成28年3月7日(月)午後6時~8時
洛中から:「朽ちるを活かすデザインと暮らし」
      山本 剛史 氏(グラフィックデザイナー)
京大から:「土のつとめ」
      真常 仁志(地球環境学堂 准教授)
司  会: 深町加津枝(地球環境学堂 准教授)
協  力: 嶋  臺 (しまだい)

 

第35回嶋臺塾は、「朽ちる美」と題し、グラフィックデザイナーの山本剛史さんと、学堂の真常仁志さんにお話しいただきました。地球環境にとって、「朽ちる」ということはとても大切なことです。何年たっても安定して存在し続ける物質は、 私たちの生活にとって便利かもしれませんが、それらが今の地球環境に多くの問題を引き起こしています。オゾンホールを拡大させたフロンガス、海洋中に漂うプラスティックごみなどなど。しかし、朽ちることの大切さを知り、どのように生活に取り入れていけばいいのか、お二人のお話を通じて考えました。

山本さんは、ご結婚を機に、自分たちがどのような暮らしをしたいかと考え、京都北山の奥である京北町の古民家に移り住まれます。
もともと、古伊万里など、使い込まれた古いものが好きだった山本さんは、自分たちのはどういう暮らしがしたいのか、暮らしの中に、昔の職人さんがつくった、日本のモノづくりの文化が生きているものを置きたい、そう考え、実践されます。10年放置されていた築104年の建物を、毎週、毎週、掃除し、手直ししながら、自分たちの住空間を創っていかれました。板間を漆拭きにしたり、薪ストーブを入れたり、それなりにモダンにしながらも、五右衛門風呂やお竃土さんはそのまま掃除して使い、畳や建具は、取り壊される京町屋のものをもらい受けて、朽ちかけていた家が息を吹き返しました。それはそれは素敵な家で、今は登録文化財となっています。その間に、家に対する愛着も沸き、古い家のよさ、昔の人の知恵が実感されるようになりました。徐々に人も集まるようになり、土塀を版築にされたときは、2日ずつ4回の作業に、200名の人が集まりました。最近は、東寺の市などに若い人がたくさん来て、使い込まれた古いものを買っていくのだそうです。山本さんのような価値観を持ち、それを生活に取り入れる人も増えているのかもしれません。便利な家電製品に囲まれて、百円ショップで買ったものを使い捨てる生活は便利で安くあがるかもしれませんが、日本にはすごい職人技が生きた何年も何十年も使い続けられるものがあります。そうしたものに愛着をもってほしい、「いとおしい」という気持ちを思い出してほしい、たくさんでなくていい、一つでもそうしたものを暮らしの中に置いておいてほしいと訴えられました。

真常さんからは、土壌の話しをお聞きしました。日本であれば、岩石や火山の噴火、中国から飛んできた黄砂などの上に葉っぱが落ちて、虫が食べ、糞をして、さらにそれを微生物が食べて黒い土をつくってきました。土は、植物の栄養を与えると同時に、微生物や胞子・菌糸と結びついて団粒をつくり、いい具合に空気と水を貯えます。そうした土に植物が育ち、動物が生きることができます。土にとって「朽ちる」ことは、終わりではなく、始まりです。人は土の上に生まれ、土に還る。文明も土の上に栄え、土の喪失で滅びてきました。真常さんは砂漠化のことを中心に研究されていて、アフリカのニジェールで、お砂漠の生態系にうまくあった作物増収の技術を開発されました。砂漠化を食い止めようと木を植えると、砂漠の水や土の循環を歪めるおそれがあります。真常さんらは、畑の一部分を休ませて、そこに生えた草で土壌を貯める方法を考えられました。畑を休ませても、それ以上に収穫が増える、お金も労力もかからない、環境にやさしい農法です。しかし、農民にはなかなか受け入れてもらえないのだそうです。変わったことをしたくないという保守的な心理もあるようですが、近代化への強いあこがれがあると言います。

山本さんが紹介された暮らし方にある価値観は、すでにひととおり文明社会の豊かさを経験した人が、その先に求めるものです。しかし、物質的な豊かさにあこがれる人たちが、環境と調和した伝統的な暮らしに価値を見出すことはなかなか難しいようです。だからこそ、私たちが真の豊かさとは何かを自らの暮らし方で示すべき時代なのだと改めて感じた今回の嶋臺塾でした。

(吉野 章)