第17回(2013年11月30日開催)地球環境フォーラムの質問に対する回答

2013年11月30日に開催しました第17回地球環境フォーラムでは多数のご質問・コメントをいただき、誠にありがとうございました。 いずれも興味深いものばかりで、すべてのご質問・コメントにお応えしたいところですが、一部だけの回答とさせて頂きます。大変申し訳ございませんが、何卒ご了承ください。

Q: 「排出する権利」とするならば,その基準はどこに置くべきとお考えか.京都議定書では1997年に会議を行ったにもかかわらず,基準年は1990年と,これはソ連崩壊により工業が落ち込んでいたロシアや,性能の悪い機械をつかっていたEUにとって有益なものにするために決まったようなもので,日本は莫大な排出権を買わねばならない.実際に取引も開始されていると思うのですが.

A:宇佐美先生 質問者の方は、京都議定書で採用された1990年という基準年がEUにとって有利であることを指摘され、それと似たような恣意性が私の示唆のなかにも含まれているのではと懸念されたように見受けられます。 このご懸念は尤もかと思います。1990年基準がEU内の主要排出国にとって有利で、日本には不利であることは、すでにたびたび指摘されてきたところです。じつは、〈二酸化炭素を排出する権利〉という考え方は、特定の時点で排出された二酸化炭素の量をもとにせず、それとはまったく別の仕方で排出量を定めることを前提としています。この点については、間もなく刊行される論文でくわしく述べていますので、ご関心をおもちの方はご参照いただければ幸いです(宇佐美誠「気候の正義:政策の背後にある価値理論」『公共政策研究』第13号、2013年12月刊行予定)。

Q: 宇佐美先生は地球を’賢く’使うことだけでなく,‘正しく’使うことを考えなければならないとおっしゃいました.‘正しく’というのは,どのような基準あるいは立場にたっての’正しさ’なのでしょう.’正しい’という価値観は国や文化によって違うので,そのような使い方をともに守ることができるのかどうか.大変に疑問に思います.よろしくお願いします.

A:宇佐美先生 私は講演の最後に、「地球の使い方を考える際には、賢く使うことだけでなく、正しく使うことも大切だ」という趣旨を述べました。これに対して、正しさについての価値観は国や文化によって違うので、同じ使い方をともに守れるのかは大いに疑問だというコメントをいただきました。 たしかに、価値観が文化により人により異なることは少なくありません。しかし、他方で、今日の世界では価値観の共有がさまざまな場面で進んでいることも事実です。たとえば、1970年代以降に世界各地で民主化が起こり、現在では40年前とは比べものにならないほど多くの国が、民主国家に数え入れられています。また、国際人権法と呼ばれる国際法分野の急速な発達は、部分的には価値観の共有によって支えられているわけです。もちろん、地球の使い方については、民主制や人権のように幅広い合意がいまの時点で成立しているわけではありません。しかし、環境問題に関する多国間条約の進展や、環境NGOなどの国際的ネットワークの広がりを見ると、将来にわたって合意は不可能だとあきらめてしまう必要はないでしょう。私は将来について楽観的です。そして、合意の見込みがどのくらいであれ、合意の確立をめざしてゆこうとすれば、その第一歩は、地球を正しく使うことの大切さを認め、語ることなのです。

Q: 宮内先生への質問です. 1. 自然と人をつなぐ(伝統的な)社会的なしくみは,都会ではなく田舎だからこそ保たれてきたと言えるのでしょうか? 2. 1が言えるのだとすると,現代社会の根本問題は「都会の偏重」にあるということも言えるのではないでしょうか,と考えたのですが,いかがでしょうか? ソロモン諸島の事例で他国からのODAなどによってどのような生態系への変化や影響が出てきているのか,特に地球の使い方という側面からおしえてください.

A:宮内先生 田舎か都会かというより、コモンズ的なしくみには、適正な規模というものがあると思います。ただ都会でも同様のしくみを作ることはある程度できます。また、都市と農村との相互依存の関係をうまく結ぶことで、全体として持続可能な発展をとげることもできるはずだと考えます。

Q: 日本がTPPにもし参加すると,「農業の国際競争力強化」の名の下に,水田稲作から生物多様性をどんどん奪っていくような自体が生じるのではないかと私は危惧しているのですが,如何お考えでしょうか?

A:光田先生 おっしゃるとおりです。とくに平野部では避けがたいことでしょう。私も苦しい戦いを強いられると覚悟しています。

Q: 「人の手が入るからこそ自然も保たれる」ということが(宮内先生のお話のように)言えるためには,生産効率だけを考えた農業のあり方,すなわち,いわば「工業的な農業」を改めなければいけないと思われますが,いかがでしょうか?

A:光田先生 この問題は、消費者の意識に深くかかわっています。生物多様性を喜びとする人が増えてこないと、何を言ってもむなしいということになりかねません。あなたは、味噌汁に青虫が白く煮えて浮いていた場合、「タンパク質だね」と言って、笑って箸でつまみだすことができるでしょうか(食べて欲しいとまでは言いませんが)。子供さんやお孫さんへも教育を、よろしくお願い申し上げます。

Q: 農業の環境知について,説明にあった様な日本の農地はTPPにより今後どうなるのでしょうか.

A:光田先生 「どうなる」というよりも、「こうはさせない」という自覚と運動のほうが大切でしょう。個人では無理で、場合によっては行政と組んだ組織作りも重要です。

Q: 温暖化の要因は自然的要因,CO2他人為的な要因の割合をどのように考えればよいでしょうか.

A:光田先生 太陽の活動は、ここ二百年間では例を見ないほどの極小期に向かっているとする見方が広がっています。テムズ川が凍りつき、日本では冷害で江戸期に大飢饉がおこったとき以来ともいわれます。 今後どうなるかは、まだわかりません。私はCO2温暖化主要因説は否定しますが、宇佐美先生のお話にあったように、CO2が不活性ガスであり蓄積しやすいのも事実です。CO2吸収能力の高い若い森林を増やす努力も必要です。ところが、カシノナガキクイムシで老齢木が枯れても、株もとから芽は出ないのです。

Q: 「原生的な自然は幻想」と考えた場合,「ジャングル」とはどのような状況と言えるのでしょうか.

A:光田先生 観光的なキャッチフレーズは別として、原生林など日本には残っていないと考える方があたっているでしょうね。ジャングルというのは熱帯域で見られる(二次林などの)代償植生で、人間が作ったものです。

Q: 農薬,除草剤を使うべきか,どうすべきでしょうか.外注害虫から身を守るため毒性を持つようになるという話を聞きましたが.

A:光田先生 私の立場からは、もちろん「使うべきでない」です。ただ、そうすると農業の労働力は大変で、老齢化を考えると現実的でない側面はたしかにあります。援農などをNPOや市民で組織する活動も考えていかなければならないでしょう。

Q: 中山間地域棚田等の零細農家の農業従事者の平均年齢が70歳程度であり,現在の人口動態からして,一部大規模農家の若手後継者以外に農業の担い手ないと考える.環境の多様性維持のためには,人口動態の変化を直視した事項可能な施策の立案が望まれる.この点に関してご意見を聞きたい.

A:光田先生 上の質問でお答えしてしまいましたが、農薬や除草剤を減らすだけでも農業の労働力は大変で、老齢化を考えると現実的でない側面はたしかにあります。今後は援農などをNPOや市民で組織する活動も、行政とともに考えていかなければならないでしょう。