第24回 森を看る
日 時 : 平成24年7月26日(木曜日) 午後6時~8時
場 所 : 嶋臺本陣ギャラリー
挨 拶 : 藤井 滋穂(地球環境学堂長)
学堂から :「熱帯の森を喰らう」
岡田 直紀(地球環境学堂 准教授)
洛中から :「京の里山をいける」
笹岡 隆甫 氏(未生流笹岡 家元)
ひとこと : 横山 俊夫 (京都大学 名誉教授)
司 会 : 深町 加津枝(地球環境学堂 准教授)
主 催 : 京都大学 地球環境学堂・学舎・三才学林
協 力 : 嶋臺 (しまだい)
第24回嶋臺塾のテーマは、「森を看る」でした。
学堂の岡田さんからは、マレーシアのクンダサンで栽培された野菜、アブラヤシのプランテーションからのパームオイル、マングローブ林で養殖されたエビについてのお話を頂きました。これらの事例が物語るのは、熱帯の森の恵みを食べるのではなく、熱帯の森を破壊して、そこで生産したものを食べる。そして、収奪をして間接的に食べるというものでした。それはまさに「熱帯の森を喰らう」私たちの日常生活そのものであり、食べること、使うことを通して、実は熱帯の森を破壊し、その地域の生態系の健全性や人々の生活や文化に結びつかない産業の実態でした。
華道未生流笹岡の家元である笹岡さんは、まず、生け花には「足でいけよ」という教えがあり、身近な京の里山に足を運び、その自然の姿に目を行き届かせて看ることが重要であると力説されました。そして、生け花は哲学であり、自然というものについて考えることであり、花をいをいけることは、祈りや願いといった人間の思いから始まっているというお話を頂きました。さらに、生け花など文化芸術の役割は、今まであるものを守っていくだけではなく、それをどのように新しいものへと変えていくかという挑戦の連続であることを、平等院鳳凰堂での生け花を事例にご紹介頂きました。
来場者を交えた対話では、「喰われた森」にどのように向き合うべきかという問いに、地元の住民の利益を保証しつつ、私たちが身を切るようなことをいとわずに知恵と労力を出し、時間をかけていくことが大切、との岡田さんからの答え。さらに「ただ、現実は厳しい」との一言 けることは、祈りや願いといった人間の思いから始まっているというお話を頂きました。さらに、生け花など文化芸術の役割は、今まであるものを守っていくだけではなく、それをどのように新しいものへと変えていくかという挑戦の連続であることを、平等院鳳凰堂での生け花を事例にご紹介頂きました。
また、来場者より笹岡さんのハスの生け花、巻き葉、朽ち葉のお話をふまえた五行詩が披露されました。それに対して、里山での歴史を振り返れば、意外と上手に自然とつき合ってきた「日本人の暮らしぶり」というのがあり、そこから教わるべきことは大いにあると感じています、との笹岡さんの言葉。
最後に、手をかざして、手の下で目を見開き、じっと見つめて、全体をとらえているお二人の姿勢が、分野をこえ「森を看る」ところでうまくつながった、という寸評で締めくくられました。(深町 加津枝)