第30回嶋臺塾を開催しました

第30回 海せん山せんの暮らし

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日  時: 平成26年7月26日(土)午後4時~午後6時
挨  拶: 柴田昌三(三才学林長)
美山から: 鹿取悦子氏(山里住民)
     「山の生き方-狩-」
京大から: 山下洋(フィールド科学教育研究センター 教授)
     「海の生き方-鱸(すずき)-」
司  会: 深町加津枝(地球環境学堂 准教授)
協  力: 嶋臺(しまだい)

 

 

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今回の嶋臺塾は、美山の里から鹿取悦子さんをお招きし、山の暮らしの現在をご紹介いただきました。京都府南丹市美山町は、由良川の源流域にあり、萱葺き民家が残る集落や、原生林が残る京都大学芦生研究林で有名なところです。江戸っ子の鹿取さんは、大学院修了後、島根大学に勤められていたのですが、大学時代に魅了された美山に舞い戻られ、今はそこで暮らしておられます。美山では、観光農園 江和ランドで田んぼや畑、接客、NPO法人 芦生自然学校の一員として、自然や田舎に帰る活動などをされています。同時に、猟師として、現在の山里の営みにとっての悩みである有害鳥獣とも闘っておられます。杉の皮を剥いで枯らしてしまうクマ、樹皮・植林・灌木など、なんでも食べてしまうシカ、その他、イノシシ、カワウ、アライグマ、ハクビシン等々。それらの被害は、広がるというより、より「深く」なっているのだそうです。猟師への規制が強まる中、鹿取さん自身も猟銃を持ち、シカの解体場を作ったり、鹿肉メニューの開発などを行うことでこの問題に取り組んでおられます。山で暮らすと、自ずと季節の移り変わりに敏感になり、自然の異変にも気づくようになります。野生を取り戻し、想像力を働かせて生きることの大切さを教えていただきました。

大学からは、フィールド科学教育研究センターの山下洋さんに鱸(すずき)についてお話しいただきました。美山を源流のひとつする由良川は、京都府の面積の40%に渡る広範な流域を持ちます。その河口は舞鶴ですが、山下さんはそこを「丹後湾」と呼んでおられるそうです。今回は、その「丹後湾」あたりで暮らす鱸のお話しでした。山下さんは、鱸を海の鳶(とんび)に例えられます。鳶は、鷲(わし)や鷹(たか)と同じ猛禽類でありながら、他の猛禽類に比べてあまり人間からはありがたがられていません。これは、なんでも食べてどこにでも住む鳶のしぶとさによるもので、鱸もそれに似ているのだそうです。実際、日本沿海の漁獲量が激減する中、鱸だけは増えています。鱸は、海で産卵し、海で暮らしますが、その一部は川にも上ります。12~1月頃生まれた卵は、1~2月頃子魚となり、2~3月頃には稚魚となります。稚魚は、海岸から10mぐらいのところを回遊しますが、そのうち体の小さい稚魚は、由良川に雪解け水が流れ込む3月の頃、川を遡上します。そして、餌となるアミの多い川で育った鱸は、海だけで暮らす鱸よりも一回り大きな体となって海に戻ってくるのだそうです。山下さんは、魚の年輪である「耳石」を使って、そうした鱸の生態を調べておられます。会場では、皆さんその耳石を手にとってまじまじと見入っておられました。

町の方からは「京都の人は鱸はあまり食べませんなあ」と、高級魚の鱸が、それこそ鳶並みにあしらわれて、苦笑が出る場面もありましたが、シカやクマをどう食べるか、川に上った鱸の味や寿命、子供に殺生を見せるこなどについて、賑やかに質問や意見が交わされました。

海に千年山に千年住んだ蛇は竜になると言います。このことから、世の中の裏も表も知った老獪な人は「海千山千」と表現されます。褒め言葉とはいえない表現ですが、厳しい環境をしたたかに処世してきた末の姿であります。鹿取さんの山での暮らしも、鱸の海での生き方も、「老獪」と呼べるような生き方ではないかもしれません。むしろ「海戦山戦」と呼ぶのがふさわしいのかもしれませんし、「海仙山仙」と呼んだ方がよいかもしれません。したがって、今回の嶋臺塾のタイトルは、これをあえて「海せん山せん」と書きました。柴田 三才学林長からは、この「せん」にどんな字を当てはめるか、皆さんで考えてみてください、との問いかけがあり、それをもって今回の嶋臺塾は終会となりました。

(吉野 章)

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